ミッキー亭センベー プロフィール


三味線 漫談家

1989年 津軽三味線の第一人者佐藤道弘に師事し東京ドーム巨人軍のオープニングセレモニーを務める。

2000年 ミッキー亭センベイと名前をもらう。
三味線とお話で各地の寄席でライブ活動
ミッキーカーチスのバックでロックンロール、ジャズ、ポップスなど弾きこなす。

2001年 檜三味線全国大会で準優勝。お話三味線とユニークなキャラクターで全国各地ライブに活動中

2003年11月 映画「オーバードライブ」に役者として出演。

2004年8月 音楽を担当したVシネマ「ワル・序章」(田中監督)がレンタル開始。
         三味線音楽担当。
 


パーカッションニスト

1952年 東京生まれ

1970年 高砂直照と東京キューバンボーイズのメンバーとして活動。

1970年 田口ノブオとクマナブランカへ移籍。のちジョージ根元&ブラザース(ハワイアンバンド)にBSSとドラムとして7年間活動。
LSPレコード「その手をいつまで」を発売。

1978年 自分のバンドを結成ミノルホレコードからデビュー(世間ばなし)をリリース。パーカッションを学ぶ為渡米。

現在 奥田英人&ブルースカイでパーカッションを務め又ミッキーカーチスのバックでパーカッションを担当。CSテレビ特番で放映。中央FMラジオ84.4MHz出演









私が初めて作曲をしたレコード。
と言ってもA面ではなくB面の「青い海と花の街」のほう。
A面の曲は、館山市観光協会推薦の威力もあってヒットチャートにノミネートされて、ソコソコ売れたのですが、B面作曲者のワタシの印税は1円。三カ月に 一度4〜5000円、約2年くらい、いただいたでしょうか。本当に、ありがたいことです。

 



芸名「センベー」の由来
 私はね、以前、草加に住んでまして、草加っていえば、草加せんべいで有名ですよね。そういうこともあって、ある日師匠が「おい、おまえの名前を決めたぞ!」って言うわけですよ。お察しのとおり、「ミッキー亭センベーってので、どうだ。」ってね。
「師匠、それはいくらなんでも安易すぎるんじゃないですか?そう簡単に名前を決めちゃわないでくださいよ。」と私は当然のことながら反論したのですが、師匠は「いやいや、なかなかいい名前じゃねえか。え、それによ、これは単にせんべいだからセンベーじゃなくて、ほれ、おまえの顔はどことなくドクター・センベー(あられちゃんの父親)に似てるだろ?だからだよ。実に奥が深い。」なんだと。
 それでも私は納得しなくて、数日経ったある日、「師匠、やっぱ、ですね、えー、普通は師匠の名前の一文字を頂戴するってえのが、筋じゃないかと思うんですがねえ。どうなんでしょう。」と息も継がずにお願いしたのですが、さすが師匠、「入ってるよ。『ミッキー』の一番後ろ。それと『センベー』の一番後ろ。つまり、『ー』って文字を引き継いだわけですな。さすがにこれには納得せざるをえなくて、有難くこのセンベーって名前を頂戴したわけです。うーむ。これでいいのだろうか。

センベー・ギャラリー
いわゆる写真集です。
どうぞ、おいでください。