中国での義兄弟の契りから早2年が経過した1990年の年初めの頃、東北の関羽「シロー」から東京の兄者・玄徳「げんぞう」にひとつの提案がなされた。
 それは「今年の夏、Thailandをカヌーで下ろうではありませんか!」というものであった。
 げんぞうはカヌーなんぞ見たこともなかったが、即座に「それは面白い!ぜひご一緒させて頂きたい。」と返答するのである。

 早速、シローはアーリーという組立式のカヌーを調達し、「訓練のため、GWに東北にこられたし。」と電報をげんぞうにおくる。
 げんぞうはGPZ400FUという馬に跨り、一路東北はシローの元へ赴くのであった。
 2人は花山湖をThailandのチャオプラヤ川に見立て3日間で30分にもわたる猛特訓を行うのである。

 出発を1週間後に控えた8月上旬、シローから「悲報・アーリー水没す。」との一方がはいる。
 なにやら、江合川で最後の調整中の不慮の沈であったらしい。

 シローはそれから即座にクイーングースという2人乗りのカヤックを購入し、なんとかThailandに旅立つ2人であった。


 Thailandにつき、まず2人がしたことはクイーングースの組立である。なにせ買ってからまだ一度も組立ててなかったからね。
 無事に組立て終わり、いよいよ進水式である。
 場所は名もない沼。
 見物していた少年を乗せ、くる〜とひとまわり。
 準備万端である。いよいよ明日、ナコンサワンに向け出発だ!


 Bangkokから汽車で4時間北上しナコンサワンに到着。
 ここからBangkokまで1週間かけくだり、オリエンタルホテルにカヌーで乗りつける、というのが最終目標である。

 翌朝、食料を準備しチャオプラヤ川でカヌーを組立てていると、続々と人が集まってきた。その数ざっと100人。
 大観衆に見送られ、彼らの旅はいま、始まった。

 漕ぎ始めて2時間。周りはずーと平地。流れはなし。
 続けて漕ぐこと4時間。相変わらず平地。流れはなし。
 結局、初日は8時間漕ぎ、休憩は1回のみ、約50km漕いだ。
 ホテルもなく、川岸の小屋に眠る二人だった。

 2日目。昨日と変わらずの風景のなか、ひたすら漕ぎつづける2人。
 川沿いの宿に泊まる。

 3日目がスタート。今日は船長(後方)にげんぞう、エンジン(前方)がシローという昨日迄とは逆の布陣で挑む。
 しかし、悲しいかなカヌー初めて3日目のげんぞうにとって船長の荷は重かった。
 スコールの到来の判断を誤り、命を危険にさらすこととなる。
 いやはや、スコールをなめたら、あきまへんなぁ。言わば嵐ですもんね。
 「愛のスコール」という飲料水のイメージとは程遠い、暴力的なものだった。
 夕方、上陸した場所には宿はなく、ヒッチハイクで近くの町まで連れて行ってもらう。
 この日は安宿に泊まり、痛んだ体とカヤックを修理し明日に備える2人であった。


 4日目、昨日の上陸地点までの足がないため、バスで川岸まで行きスタートをするという予定である。
 ここまで順調にきて約100km。
 Bangkokもそう遠くはない。さぁ、がんばろうとお互いを励ます。

 バスターミナルからバスにのる。シローが使い慣れたタイ語で行き先を確認。
 冷房の効いたご機嫌なバス。
 途端に睡魔に襲われ眠りにつく2人。
 ふと目を覚ますと、もう3時間近くバスは走っている。
 不安になるげんぞう。
 タイ語に自信をもつシローも、内心は?であろう。
 

 それから数十分後、バスは静かに止まり、乗客は全員下車させられた。
 喧騒と熱気に包まれた街・Bangkokのバスセンターであった。
 どうやら彼らが乗ったバスはBangkok行きのノンストップ急行バスであった。
 
 それからシローはあまりタイ語を使わなくなり、英語ばかりを話すようになった。

 こうして、彼らのチャオプラヤ川をくだりBangkokに行く旅は静かに幕を閉じたのである・・・・



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